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涼風通信のパスワード
【更新履歴】
はじめに
はじめに
三つの基本的な問い
三つの基本的な問い
問い1 仏とは何か
問い2 どうすれば仏になれるのか
問い3 私も仏になれるのか 〜切実な問いへの答え
ニルヴァーナ
ニルヴァーナ
覚った後の仏の生活はどうなる
解脱
解脱
解脱知見
三種の明智 〜漏尽通、宿命通、天眼通
解脱の根拠
解脱の本体(名称と形態:nama-rupa)
諸仏の誓願
三つの解脱
正法
正法
正法とはそもそも何であるか
正法の所在
智慧
善知識
聖求
覚りのプロセス
覚りのプロセス
発心
善知識に出会う
解脱(覚る)
苦の関係構造(縁起)
一切皆苦
無常 〜解脱を保証する根本
不生 〜作られざるもの
仏道
仏道
道中の不安を払拭する方法
修行
修行
覚りの機縁
修行すれば必ず覚れるのか
修行には終わりがある
善き談論 〜知足について
省察
懺悔
観(=止観)
観(=止観)
功徳
功徳
功徳の特質
功徳と果報
どうすれば功徳を積むことができるのか
功徳の根底にあるもの
功徳と福徳の違い
信仰
信仰
あり得べき信仰
帰依
親近(しんごん)
戒律
戒律
具足戒
法界と諸仏
法界と諸仏
サンガ
サンガ
在家でも覚れるのか?
性差
善知識として
ブッダとして
魔境
魔鏡
実例
実例1) SRKWブッダの場合(善知識により慧解脱)
実例2) kassii長老の場合(公案を通過して心解脱)
実例3) 涼風尊者の場合(経典を読んで阿羅漢となる)
実例4) 法津如来の場合(法の句を聞いて慧解脱)
実例5) 法風如来、および法捗如来の場合(女性の作仏)
実例6) 石法如来の場合(縁者の解脱および作仏)
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【2019.10.16版】

1章 はじめに   1,500文字 

2章 三つの基本的な問い

   三つの基本的な問い   947文字
   問い1 仏とは何か   827文字 
   問い2 どうすれば仏になれるのか   3,077文字 
   問い3 私も仏になれるのか   1,170文字 

3章 ニルヴァーナ
   ニルヴァーナ   1,518文字 
   覚った後の仏の生活はどうなる   1,429文字 

4章 解脱
   解脱   1,958文字
   解脱知見   482文字
   三種の明智 〜漏尽通、宿命通、天眼通   877文字
   解脱の根拠   399文字
   解脱の本体(名称と形態=nama-rupa)   3,829文字
   諸仏の誓願   1,799文字
   三つの解脱   858文字

5章 正法
   正法   831文字
   正法とはそもそも何であるか   1,213文字
   正法の所在   627文字
   智慧   2,570文字
   善知識   932文字
   聖求   3,877文字

6章 覚りのプロセス
   覚りのプロセス   712文字
   発心   1,272文字
   善知識に出会う   655文字
   解脱(覚る)   983文字

7章 諦
   諦   1,611文字
   苦の関係構造(縁起)   4,399文字
   一切皆苦   1,285文字
   無常 〜解脱を保証する根本   976文字
   不生 〜作られざるもの   1,372文字

8章 仏道
   仏道   1,104文字
   道中の不安を払拭する方法   2,627文字

9章 修行
   修行   2,014文字
   覚りの機縁   1,112文字
   修行すれば必ず覚れるのか   2,137文字
   修行には終わりがある   552文字
   善き談論 〜知足について   2,090文字
   省察   842文字
   懺悔   991文字

10章 観(=止観)
   観(=止観)   2,324文字

11章 功徳
   功徳   873文字
   功徳の特質   1,139文字
   功徳と果報   1,188文字
   どうすれば功徳を積むことができるのか   1,234文字
   功徳の根底にあるもの   594文字
   功徳と福徳の違い   653文字

12章 信仰
   信仰   1,011文字
   あり得べき信仰   1,947文字
   帰依   857文字
   親近(しんごん)   848文字

13章 戒律
   戒律   1,794文字
   具足戒   855文字

14章 法界と諸仏
   法界と諸仏   1,296文字

15章 サンガ
   サンガ   803文字
   在家でも覚れるのか?   660文字

16章 性差
   善知識として   515文字
   ブッダとして   412文字

17章 魔鏡
   魔鏡   812文字

18章 実例
   実例1) SRKWブッダの場合(善知識により慧解脱)   4,336文字
   実例2) Kassi長老の場合(公案を通過して心解脱)   1,611文字
   実例3) 涼風尊者の場合(経典を読んで阿羅漢となる)   2,291文字
   実例4) 法津如来の場合(法の句を聞いて慧解脱)   1,370文字
   実例5) 法風如来、および法捗如来の場合(女性の作仏)   101文字
   実例6) 石法如来の場合(縁者の解脱および作仏)   551文字

19章 あとがきに代えて
   あとがきに代えて   452文字 


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【更新履歴】

 2019年10月12日  第1版原稿完成。

 2019年10月13日  第1版刊行。


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はじめに

 私は、若い頃から仏教に興味があった。しかし仏教は難解で、いろいろな仏教書を読んでも容易に理解することは出来なかった。また仏教以外の思想にも興味があって、たとえば中国の史書・道教・儒教その他諸子にも親しんだ。私にとって仏教書を一つの極としたとき、その対極には実践的な処世の書物があると考えられた。具体的には孫子や呉子、韓非子などである。

 仏教は浄らかだが実践的ではない。中国の諸子は実践的だがどこかなまぐさい。私の心はくり返し清らかさを求める気持ちとその対極にある処世術との間を振り子のように行き来してはそれぞれの本を交互に読んだ。しかし、その苦闘はついに終局を迎えることになった。私は42歳のとき解脱して覚り、仏(=如来)となって、この世の真実を知ったからである。

 さて、本書は解脱して9年ほど経ったときに縁があって著し、電子書籍として出版した本(=拙著『覚りの境地』(電子出版:パブー))の改訂・増補版である。前著からすでに8年以上経過しており、その後に起きたことがらにまつわる覚りの境地についてのさらなる理解などを含め、大幅な増補と覚りのメカニズムに関する子細についての改訂となった。ページ数を適切なものにするために、章立てを見直し、必要に応じて増補するとともに逆に重要度の低い文節は削除している。ただし、覚りの境地そのもの、およびそこに至るまでの一なる道の根本的なことがらについては最初の上梓から何ら変更はしていない。

 本書には、仏が住する円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)の境地、すなわち「覚りの境地」についてその全貌を余すところなく記しているが、論旨を明確にする関係上、主題に鑑みて最重要ではない項目の記述は簡素化している。

 本書は、現代に生きる仏たる私(SRKWブッダ)が直接筆を執って著したものであり、こころある人が覚るために必要なすべてのことを書いた。覚りに興味があって、こころからそれを望む人がこの本を手にしたならばきっと覚りに到達することを得るであろう。

 ところで、人にはそれぞれ自分に縁のある経典がある。ある人にとっては古くから世に存する経典がそれにあたるかも知れない。実際、多くの人々はそれで問題ないかも知れぬ。私(=SRKWブッダ)という現代の仏が新たに経典を著す必要が本当にあるかどうかは議論が分かれるところだろう。それでも敢えて私が前著を著したのは、現代の人々に現代の仏が現代の言葉で理法を説くことによって私に縁有る人々がよりすみやかに覚りに近づくに違いないと考えたからである。そして、そのとおりにこの数年間の間に複数の慧解脱者や阿羅漢、心解脱者を出現させる契機となった。

 今回の改訂・増補は、縁あって同書を紙の書籍として世に出すことに因んで為されたものである。それを電子書籍としても前著と同じ販路で出版し、前著の読者が情報として不利益を被らないように考えたものである。ここで、前著は初版重刷本(精確には第二版)として絶版することなく残し、異同に興味がある読者が検証できる形とした。このような経緯・事情から、前著を知らず初めて拙著「覚りの境地」を求める方は、本書を読みさえすれば最新の情報が手に入るようになっている。

 なお、前著同様、ここで言っておきたいことがある。私は読者の「覚ることができました」という声を聞きたくてこの本を著したのではない。もちろんそれはうれしい声なのであるが、もろもろの仏が本当に聞きたいのはそうではない別の声なのである。覚り以前においてさえそれが何なのか分かる人があるならば、その人はすでに今世での覚りをおそらく間違いのないものにしたのである。


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三つの基本的な問い

 仏教に興味がある人は必ず三つの問いをする。それは次のことである。

「仏とは何か?」
「どうすれば仏になれるのか?」
「私も仏になれるのか?」

 とくに、最後の問いは切実である。この世に仏が実在し、その境地が人々が羨むような素晴らしいものであるとしても、もしも自分自身がそうなれるので無ければ覚りについての話など聞いても切なく空しいこととなるからである。

 しかしながら、その心配はいらない。人は、こころから望むならば誰もが仏になれると断言できるからである。と言うのは、もろもろの如来はそれがまさしくそのとおりであることを知って人々に広く理法を説くのであるからである。そして、如来がそのように説くというその事実そのものが、誰もが覚り得ることを示唆している。すなわち、もしも覚れる人とそうでない人とが予め分かれていて覚りが一種運命づけられたものであるならば、仏たちは理法を広く説くことはないであろうからである。なんとなれば、その場合、覚れない人に向かって覚りについて語ることはまったくやさしさを欠く行為に他ならないこととなるからである。

 そもそも、仏とは、一言で言えば究極のやさしさを体現した人格完成者を指している。仏は決してやさしくない行為を為すことができない。それが仏の仏たるゆえんである。その仏たちが口を揃えて人々に広く理法を説く以上、この世に望んでも覚れない人など一人もいないと言えるのである。

 私(=SRKWブッダ)もまたそのように理法を説く。この世には、こころから望んだのに仏になれない人など一人もいないことを知っているからである。今を生きるすべての人がそうだとは言わないが、私との縁によって覚りに至る人はすみやかに覚りに到達してほしい。覚りの道について問う人があるならば、私は隠すことなくすべてを明かしたいと思う。

 ただし、先に述べたことと矛盾するように聞こえるかも知れないが、如来は誰もが覚り得ると説くが誰もが覚るとは言わない。覚りはそれぞれ人の因縁にもとづいて起こることであって、確約できるものではないからである。こころから望む人だけが覚りに至る。これが実際のことである。この点については後の章において詳しく述べたい。さて、これより首記の三つの基本的な問いに対する答えを記すことにしよう。


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問い1 仏とは何か

 仏とは何か? これが最初の基本的な問いである。

 そもそも、仏がどんな存在であるか知らなければ自ら仏になろうとは誰も思わないだろう。人が仏道に入るのは、先ずこのことが気になって身近かな人に尋ねたりいろいろな書物を読みあさったりして、微かなりとも仏というものがどういうものかを知って、一種憧れを生じるからであろう。そうして自分も仏を目指そうと思うのである。「仏とは何か?」この素朴な問いには次のように答えなければならない。

 『仏とはやさしさの究極を体現した人格完成者である。』

 ところで、世の仏教書には次のような説明がしばしば見られる。

 「仏とは抜苦与楽を為す人のことである──。」

 つまり、苦を抜き楽を与える人のことであると言うのである。この説明は当たらずとも遠からずだが、仏の本質とは少し違っている。なんとなれば、仏は直接に人々の苦を抜くことはできないからである。ただ仏は苦を抜くための真の方法を説く。それを総じて理法と呼ぶ。仏が説いた理法を信じ実践するならば、人は自分自身で苦を抜き去ることができ、そうしてこの世の最上の楽が訪れることになる。この安らけく境地をニルヴァーナと言いならわす。

 人は解脱して覚り、仏になるべきである。仏が住する覚りの境地、すなわちニルヴァーナは無上の楽しみを体現した境地であるからである。それは一切の苦悩の滅である。そこに至れば憂いが無い。まるで夢のような境地であるが、これは決して思い込みの所産ではなく実在するもの、虚妄ならざるものである。もろもろの如来はその楽しみを知り、未だ仏ならざる人にもひとしくこの境地に至って欲しいと思い、願い、人々を覚りへといざなうのである。

 なお、この仏たちが思い願い勤しむところの根底の動機たる誓願を”諸仏の誓願”と言う。これについては章をあらためて説明したい。また、覚ったあとの生活、つまり仏の生活がどうなるかについても章をあらためて私の経験を述べることにする。



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